地図を書いてくれた人は
「この先へ行っては駄目だよ。もうじき満潮だから」
そう付け加えると、海岸線をさらに太くなぞった。
手の甲には青い三角州がうかび。
暮れすすむ海辺で椅子が深いことしかわからない会社をさがす
20100508
十八話
「ほんとに瓜二つだったわよ。ほくろの位置まで全部同じ」
Kは蟻の巣でもさがすように私の顔を眺め回した。
だから私は来てみたのだ。その男がいたという薄暗い川べりの店に。
「驚いた。ガラスに自分が映っているのかと思った」
三日後。私はKに“運命の対面”の一部始終を報告していた。
「まさかショーケースの中にいるとは予想しなかったよ」
「あら、人間だなんて一言も言ってないじゃない」
それは下半身と腕のないマネキン人形であった。
新製品の帽子を深めに被り、うつろな瞳が私を見返している。
「店主に訊いたんだ。この色男は一体どこで手に入れたんですかって」
初老の女主人は、あれは特注品なのよと誇らしげに答えた。
「若い頃の夫がモデルなの、ここが彼の店だった頃の話。いい出来でしょう? 夫はもっといい男だったけど。あいにくマネキン工場は潰れたわ。夫が亡くなる 少し前だった。腕の立つ職人が揃ってたんだけどねえ」
奇妙なことに、女主人は何度も私と目を合わせて話しながら、まるで驚く様子を見せなかったのだ。首をかしげるそぶりさえなかった。
私はどこかで見憶えのある顔どころか、単に冷やかしの客の一人として適当にあしらわれた。煙草のけむりをたっぷり浴びただけで帰ってきたのだ。
帰り際、ショーケースの中をもう一度覗き込んでみた。
マネキンの顔はたしかに鏡の中の私そのものだ。そして私は自分自身の顔に手を触れてみる。
私の方はどうなのだろう? ふいに胸が冷たくなる。私は、本当に私の顔なんだろうか。
「一杯食わされたのね」
意外なKの言葉に私は動揺した。
「きっとそのおばさん、あなたに惚れてるのよ。ひそかに盗み撮りした写真を集めてたんだけど、とうとう我慢ならなくて、あなたそっくりの人形を特注したっ てわけ」
「あることさえ知らなかった店だぜ? 初対面だよ」
「たしかに、あなたにとってはね」
Kはそう言って意味ありげに微笑んだ。
「でも、彼女にとってはそうじゃないのかもしれない」
帽子にも寿命があって帽子屋も日が経てば帽子の墓になる
Kは蟻の巣でもさがすように私の顔を眺め回した。
だから私は来てみたのだ。その男がいたという薄暗い川べりの店に。
「驚いた。ガラスに自分が映っているのかと思った」
三日後。私はKに“運命の対面”の一部始終を報告していた。
「まさかショーケースの中にいるとは予想しなかったよ」
「あら、人間だなんて一言も言ってないじゃない」
それは下半身と腕のないマネキン人形であった。
新製品の帽子を深めに被り、うつろな瞳が私を見返している。
「店主に訊いたんだ。この色男は一体どこで手に入れたんですかって」
初老の女主人は、あれは特注品なのよと誇らしげに答えた。
「若い頃の夫がモデルなの、ここが彼の店だった頃の話。いい出来でしょう? 夫はもっといい男だったけど。あいにくマネキン工場は潰れたわ。夫が亡くなる 少し前だった。腕の立つ職人が揃ってたんだけどねえ」
奇妙なことに、女主人は何度も私と目を合わせて話しながら、まるで驚く様子を見せなかったのだ。首をかしげるそぶりさえなかった。
私はどこかで見憶えのある顔どころか、単に冷やかしの客の一人として適当にあしらわれた。煙草のけむりをたっぷり浴びただけで帰ってきたのだ。
帰り際、ショーケースの中をもう一度覗き込んでみた。
マネキンの顔はたしかに鏡の中の私そのものだ。そして私は自分自身の顔に手を触れてみる。
私の方はどうなのだろう? ふいに胸が冷たくなる。私は、本当に私の顔なんだろうか。
「一杯食わされたのね」
意外なKの言葉に私は動揺した。
「きっとそのおばさん、あなたに惚れてるのよ。ひそかに盗み撮りした写真を集めてたんだけど、とうとう我慢ならなくて、あなたそっくりの人形を特注したっ てわけ」
「あることさえ知らなかった店だぜ? 初対面だよ」
「たしかに、あなたにとってはね」
Kはそう言って意味ありげに微笑んだ。
「でも、彼女にとってはそうじゃないのかもしれない」
帽子にも寿命があって帽子屋も日が経てば帽子の墓になる
十三話
あなたに渡したお金は、今夜のカレーの材料とたくさんの果物とビール、それに切らしてた無塩バターに換って冷蔵庫に納まった。お釣りはなかった。
あなたがくすねたのか、逆に足りない分を払ってくれたのかはわからない。
私にはそんな計算ができない。計算をするのはいつもあなたの役目だった。あなたが出してくれた答えに見合う計算式を、私はぼんやりと想像してみるだけだ。
その式にはいつも小さな鳥が一羽とまっていて、答えを鳥の声で鳴いている。
小鳥が飛び立ってしまわないかぎり、あなたの答えは、私の式にとどまり続けるだろう。
またそんな、予言のようなことを考えてしまう。玄関の灯を点けない夜は。
緑道に猫のすみつく町だけがふたりをいつもかるく無視した
あなたがくすねたのか、逆に足りない分を払ってくれたのかはわからない。
私にはそんな計算ができない。計算をするのはいつもあなたの役目だった。あなたが出してくれた答えに見合う計算式を、私はぼんやりと想像してみるだけだ。
その式にはいつも小さな鳥が一羽とまっていて、答えを鳥の声で鳴いている。
小鳥が飛び立ってしまわないかぎり、あなたの答えは、私の式にとどまり続けるだろう。
またそんな、予言のようなことを考えてしまう。玄関の灯を点けない夜は。
緑道に猫のすみつく町だけがふたりをいつもかるく無視した
十二話
玄関の内鍵が、変なタイミングでカチッと鳴ることがある。
誰も来ていないのに私はドアをあけにいく。
眠ってでもないかぎり、私は意味もなくそうしつづける。
すると扇風機の首振りにさえ一喜一憂する過敏さがたくわえられて、しかも朝である。
あかるくなると寝られる人の気持ちが、最近よくわかるんですよ。
電話でだれかにそう話して、返事がなかったのはいつのことだろう。
電話は切れていた。はじめから掛かっていなかったかもしれない。
私の客はよく柿食う客だ、とつぶやきながら林檎を剥く。
このタイミングで例のカチッがくるとしたら本物だな。
そんな私のナイフは、林檎に刺さっている時よく光るナイフ。
あの日見た護謨人形の一団の眼だまの剥げたおまえになりたい
誰も来ていないのに私はドアをあけにいく。
眠ってでもないかぎり、私は意味もなくそうしつづける。
すると扇風機の首振りにさえ一喜一憂する過敏さがたくわえられて、しかも朝である。
あかるくなると寝られる人の気持ちが、最近よくわかるんですよ。
電話でだれかにそう話して、返事がなかったのはいつのことだろう。
電話は切れていた。はじめから掛かっていなかったかもしれない。
私の客はよく柿食う客だ、とつぶやきながら林檎を剥く。
このタイミングで例のカチッがくるとしたら本物だな。
そんな私のナイフは、林檎に刺さっている時よく光るナイフ。
あの日見た護謨人形の一団の眼だまの剥げたおまえになりたい
十一話
家から廊下だけを抜き取る、名刺入れのように。
家が机になるような大きな人間のことを考える。
私は彼女とは(彼女だとすれば)セックスはできないだろう。
廊下のあった空洞に外の風が吹いている。
吹き込んできたビニール袋が、しばらく落ちていて、また吐き出されて消える。
私たちに恋愛感情は芽生えない。
彼女は(彼女だとすれば)私を小鳥のように見おろしているのだ。
小鳥とセックスをすることは、殺すことと同義である。
彼女の名刺の肩書きをぼくは盗み見たことがある。
彼女だとすれば、彼女は、女にしかできない職業の人だった。
蝶だった?蛾だった?そこが肝心なときだってあるそれが今なの
家が机になるような大きな人間のことを考える。
私は彼女とは(彼女だとすれば)セックスはできないだろう。
廊下のあった空洞に外の風が吹いている。
吹き込んできたビニール袋が、しばらく落ちていて、また吐き出されて消える。
私たちに恋愛感情は芽生えない。
彼女は(彼女だとすれば)私を小鳥のように見おろしているのだ。
小鳥とセックスをすることは、殺すことと同義である。
彼女の名刺の肩書きをぼくは盗み見たことがある。
彼女だとすれば、彼女は、女にしかできない職業の人だった。
蝶だった?蛾だった?そこが肝心なときだってあるそれが今なの
六話
大きすぎるおっぱいを(それが仕事だったから)貸し部屋に作り直した。
自分のおっぱいに住むことの出来る女はいない。
それはつねに貸し部屋であり、とても小さな男が住み着くものだ。
小さな男は無遠慮に音量を上げて音楽を聴き、行きずりの小さな娘を連れ込むだろう。
洗濯物のすきまから光を漏らす窓。
仕事とはいえ、そんな罪深い部屋を拵えた私は女に合わせる顔がなかった。
古い友達のように話はもうできない。
真夜中のコンビニですべての雑誌と、すべての原材料欄を読み終える頃窓のあかりが消える。
月を振り回す透明な鎖が今夜は見える。
私におっぱいがないのは、私が建物ではないからだ。そう気づいたのは何度目のダイエットコークを手に取ったときだろうか。
女は建物で、男は乗り物だ。
なぜそうなのかを説明することはできない。嘘だからではなく、説明すれば忽ち本当になるからだ。
私は監視カメラに映り続けた。優柔不断な泥棒のように。
わきの下を剃るようになった年齢を書く欄だけがある 履歴書
自分のおっぱいに住むことの出来る女はいない。
それはつねに貸し部屋であり、とても小さな男が住み着くものだ。
小さな男は無遠慮に音量を上げて音楽を聴き、行きずりの小さな娘を連れ込むだろう。
洗濯物のすきまから光を漏らす窓。
仕事とはいえ、そんな罪深い部屋を拵えた私は女に合わせる顔がなかった。
古い友達のように話はもうできない。
真夜中のコンビニですべての雑誌と、すべての原材料欄を読み終える頃窓のあかりが消える。
月を振り回す透明な鎖が今夜は見える。
私におっぱいがないのは、私が建物ではないからだ。そう気づいたのは何度目のダイエットコークを手に取ったときだろうか。
女は建物で、男は乗り物だ。
なぜそうなのかを説明することはできない。嘘だからではなく、説明すれば忽ち本当になるからだ。
私は監視カメラに映り続けた。優柔不断な泥棒のように。
わきの下を剃るようになった年齢を書く欄だけがある 履歴書
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